なぜ床屋?理容室や理髪店や散髪屋のことをなぜ床屋と呼ぶのか

床屋という言葉はどこから来ているのでしょうか。床屋の起源、床屋の語源、床屋の由来。それは江戸時代にまでさかのぼる髪結い床のお話でした。

床屋

床屋のサインポール

江戸時代に髪結い床として店を構えていた髪結いのこと。
現在の理髪店の呼称。

スポンサードリンク


理容店をなぜ床屋と呼ぶのか?床屋の由来に迫る!

理髪店のことをなぜ床屋と呼ぶのでしょうか。何となく昔から疑問でした。『床屋』という言葉には何か深い意味があるような気がしていたのです。『床屋』・・・なんか不思議で意味有りげな言葉ですよね。

髪結い

床屋の起源は江戸時代にまでさかのぼります。この当時、理髪業に従事する今で言う理容師さんのことを「髪結い」と呼んでいました。

説① 床店⇒髪結い床⇒床屋

江戸時代、板や竹を組んで簡易な床を張っただけの仮設の店や移動できる屋台 (車輪が付いているわけではなく、折り畳み式。)のようなところで髪結いは仕事をしていました。このような商品を売るだけで人の住まない簡単な仮設の店のことを「床店」といいました。

床店は、かんざしや化粧品などを置く小間物屋や古本屋、薪商売、占方などもあり、様々な業種がありましたが、江戸では床店の髪結いが多かったため、「髪結い床」というようになりました。それがのちに職業を表す「屋」が付いて床屋と呼ばれるようになったそうです。

スポンサードリンク


説② 髪結業の始祖・藤原采女亮政之(ふじわらうねめのすけまさゆき)

鎌倉時代の中期、亀山天皇(1259~1274)の頃に、藤原晴基という武士が天皇の宝物係として仕えていたのですが、所管の宝物(宝刀九王丸/九竜丸)を紛失した責任を取って職を辞し、浪人となりました。

晴基には3人の子供がいて、長男元勝は反物商人、次男元春は染物師となって、京都で宝刀を探すことになり、三男采女亮は探索のため諸国行脚の旅に出る晴基に同行しました。晴基は宝刀の国外流出を防ぐため、朝鮮半島に近い下関に下りました。

刀を探し続ける一方で、髪結いで高い収入を上げていた新羅人から親子でその技術を学び、生計のために亀山八幡宮裏の中之町に往来の武士や金持ちを客として我が国初の結髪所を開きました。

髪結床の利用頻度はとても高く、この当時の髪型は月代(注1)を剃っていたので、4、5日に1回は髪結床を訪れたといいます。人のたくさん集まるところで宝刀の情報を得ようとしたのかもしれませんね。

この店の奥にあった床の間には亀山天皇と藤原家の先祖を祭る立派な祭壇と掛け軸があったことから下関の人々はいつとはなしに「床の間のある店」と呼び、転じて「床場」さらに「床屋」という屋号で呼ぶようになり、下関から全国へ「床屋」は広がっていきました。

髪結業の始祖とされる藤原采女亮政之は、十数年もの間、髪結床をしながら宝刀の探索をしたといいます。

月代-さかやき

(注1)月代-さかやき(月代)は、日本の成人男性の髪型のひとつ。前額側から頭頂部にかけての頭髪を半月形に抜くか、剃り落としたもの。

*床屋の由来には諸説あり、由来の調査はとても困難です。内容が異なる説があったとしても、一概に違うとは言いきれません。

スポンサードリンク



「床屋」は放送禁止・自粛用語

余談ですが、 「床」という言葉が性的な意味合いも持つ為か、「床屋」という言葉は差別表現にあたるとしてか、放送禁止用語の一つとなっています。テレビやラジオなどのマスコミは「理髪店」「理容院」などと呼んでいるようですが、歴史を辿れば床屋という言葉の意味や由来に性的な意味合いは関係ないことがわかります。なぜ放送禁止・自粛用語になるのか、ちょっと不思議ですよね。

いかがでしたでしょうか。マスコミでは「理髪店」「理容院」と言われていても、「床屋」という言葉は普段の会話の中では変わらぬ呼び方で親しみを持たれています。「床屋」という呼び方の由来からしてもこれまで通り『床屋さん』という呼び方でいいのではないでしょうか。

スポンサードリンク

コメント

  1. 床屋 より:

    『江戸町方制度』には
    当時床場と称するものは・・・・・・同業者の口碑に伝ふる所によれば、もと髪結いは床と称して露店営業なりしより、一戸を構うるに至りても街並みより三尺ほど道路に張り出すことを許されたるなりと云ふ。果たしてしかるや否やを知らず。

    とあるように、髪結い職人は己のことを床と称していたようです。
    プライドの高かった江戸髪結い職人の気質からいって
    説➁が正しく、説➀はあり得ない話です。

    • 散髪屋 より:

      文献『髪結職文由緒書』の説②押しですか。
      しかし祭壇を担う床の間も、江戸初期(17世紀)にできたというのが定説のようです。つまり藤原采女亮が髪結職をしていた14世紀には「床の間」はなかったのですから、説②が正しいと言い切れませんね。

  2. 床屋 より:

    『髪結職文由緒書』は創作でしょうが、元来髪結いは主家を失った浪人の生業だったようです。
    同業者の言い伝いによれば
    河原などの露店営業なりしより、自らのことを床と称していたということです。
    (明治二十五年四月~二十六年七月朝野新聞連載『徳川制度』より)

  3. 理髪店 より:

    「徳川制度」では、なぜ自らのことを床と称したと書いてあったのでしょうか?まさにそこが疑問になっているところだと思いますが、説①があり得ないというのは推測ですか?簡単な仮設の床店からの床屋では職人気質のプライドが許さなかっただろうということでしょうか?

  4. 床屋 より:

    室町後期~江戸時代初期の頃は武士相手の営業であり、髪結いも大部分は浪人になった武士が職業としていました。
    享保12年、藤原采女之亮正之から21代後裔の幸次郎が南町奉行・大岡忠相に差し出したとされる『壱銭職由緒之事』なども江戸職人のプライドの高さが垣間見れます。
    4代前の先祖が家康を助けたという事の真偽は分かりませんが、プライドの高さはお分かりいただけるでしょうか。
    我々は始祖の流れを汲む髪結いだと奉行所に述べているのです。

  5. 杢々 より:

    還暦近い自分としては「床屋」は「散髪屋」「理髪店」よりとても馴染みのある呼称です。語源については諸説ある様ですが、職人としての誇りがあればどちらも興味深い説ということで良いのではと思います。ただ、放送禁止用語になっているというのは納得できません。何でもかんでも今の(マスコミが報道に節度を守らない癖に一度僅かな一部のクレームが入っただけで蓋をしてしまう様な)感覚で禁止してしまうと、これ迄の文化やアイデンティティを否定することに繋がると思われます。マスコミにはもっと確固たる信念を持って貰わないと困ります。信念が無いために偏向報道や「報道しない自由」とかのこじつけ大義名分によって、日本人の矜持が失われていくのです。表現「床屋さん」を復活させましょう。

  6. バート より:

    ここのアカデミックな議論も含めて大変勉強になりました。そもそも刃物の扱いに慣れているからと理髪業と外科手術にかかわりがあったというのも驚きました。床屋の由来につてですが、国名は伏せますがNY市内のとある近隣国の方々が集まる地域(XXタウン)のBarber(の少なくとも一部の店)では、散髪後の男性客に「疲れていますか?」と囁き、「YES」と答えた客には奥の部屋で別のサービス((女性による)マッサージ+アルファ)を提供するシステムでした。私はこれがアジアでは「床屋」と言う呼び方もする事と関係があるのだろうという仮説を持っていましたが、こういう誤解もあるので放送禁止用語になっているのかもしれませんね。それはそうと・・・週末3連休の月曜日には営業して頂ける理髪店が増えると助かりますね・・・・